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今年のThanksgiving Day

なんと今年のThanksgiving Dayは、ホテルの部屋でカップラーメンをすすって
お終いという何とも味気ない祝日となりました。

昔、旅行会社で働いていた時の取引先の方から、久しぶりにハワイ島で
開催する国際会議で添乗で来る彼の部下をサポートするコーディネーターを
してくれないか?とメールを頂き、そのグループの手伝いで、
先週1週間、ずっとSheraton Kona at Keahou Bayに泊り込みでした。


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毎日、この景色を見ながらレセプションデスクに座ってました。
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家からだと毎日、通うには遠いし、朝は8時から夜はレセプションやディナーの終了まで
夜10時までの日があり、ホテルに滞在。

その間、リックに仕事をお休みしてもらってアマンダのお世話をお願いして、
水曜日の午後、学校が終わったあと、アマンダは感謝祭で学校も木曜・金曜とお休み
だったので、リックとアマンダにホテルに来てもらい週末まで一緒に滞在。 
私は仕事、リックとアマンダはミニ・バケーション。

日程の中日だけ、みなさんが、マウナケアツアーやキラウエアツアーに午後から
参加したので、その日だけ1時に終了、リックとアマンダとつかの間のファミリータイム
を過ごしました。

そんなこんなで、Thanksgiving Dayは、カップラーメン。
この日に、カップラーメン食べてる私って・・・なんてチラッと思いつつ、
久々に、活気在るやりがいのある仕事に携わることができて、
そして、今回、国際会議の担当が初めての、その若い添乗員Hさん、
いろいろ大変そうでしたが、私も昔の経験を生かして、彼となかなか良い
連携プレーで会議を仕切り無事に終わった安堵感と充実感、彼との出会いも
また思い出深いものになりました。


その彼、Hさんは、韓流スターっぽいルックスで超礼儀正しく、
韓国から5年前に日本に来て、必死に日本語を学び、今では
日本人と同じように日本語を話し、読み書きをができ素晴らしい青年でした。


国際会議というのは、会議中は、結構、暇だったりするので
世間話しから、どうしてこの仕事を選んだの?とか、彼女の話など、
久々に28歳の男子とぶっちゃけトークに花が咲き、あ、もちろん本来の
仕事もキチンとこなし、楽しかったです。


日本人の参加者が7割、残りの3割は、アメリカやヨーロッパの方々で、
主に私は海外からの参加者と、Hさんとホテル側の交渉事項などの簡単な通訳の
手伝い。


最後は、これだけ完璧に5年で日本語をマスター出来たんだから、
今度は英語、がんばって! 英語を使えるようになると、もっともっと世界が広がるから、
君なら出来る!とエールを送って、お別れしました。

サーフィンが大好きで、コスタリカやブラジルの海に行きたいと目を輝かせ、
ハワイ島では、海を眺め、海に入りたいなーとずっと言ってたHさん。


いつもとは違った環境で違った仕事をして、そして、輝かしい未来のある若い人と
一緒に仕事できて、私も元気を沢山貰えた1週間でした。


そして、なんと嬉しいことに、その旅行会社の社長さんからメールを頂き、
来年、国際会議専門の会社を立ち上げるそうで、ハワイにおける国際会議専属
コーディネーターの契約をしたいというオファー!!

1年に1度くらいか、その頻度は未知数だけど、アマンダが大きくなったら、
マウイでもカウアイでも、飛んでいって仕事が出来たらいいなぁ!なんて妄想
してみたり、その社長さんとは、かれこれ30年くらいの知り合いですが、
昔の職務経験をこんな形で生かせて、それがまた将来に繋がって、
本当に有難いオファーです。


I am thankful for my family and friend.
I am thankful for being healthy.
I am thankful for new opportunity.

This is my Thanksgiving this year.



ロビーから望むKeahou Bay
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ロビーに飾られたクリスマスツリー
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by kohalacoast | 2012-11-30 15:09 | Comments(8)
今年のツリーはノーブル・ファー。
クリスマスの香り。


わが家のツリーは、オーナメントに統一性が、まったくないので、
逆に毎年好きなものを増やしていけるという利点もあります(笑)。


てっぺんの右のほうが、欠けちゃってるような不恰好なツリーだけど、
それもご愛嬌ということで、これから1ヶ月、よろしくね♪

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今年は2つ新しいオーナメントが仲間入り。 
2月に母とランチしに行ったマウナケアリゾートのもの。
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サンタの右下のフラガール。 
これも母とボルケーノに行った時に、立ち寄ったHiloの本屋さんで買ったもの。
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朝晩、肌寒くなってくるとハワイ島もクリスマスシーズンです。
先週、マウナケア山頂も初冠雪を迎えましたが、
けど下界からは見えるほどではなかったので、
雪化粧したマウナケア、マウナロアを見るのが楽しみです♪
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by kohalacoast | 2012-11-29 18:17 | Comments(2)

運命の友達。

リックと出会って私の人生が変わったように、
彼女に出会わなければ、また違った人生になったのかも・・・と思える友達。
マサミさん。


私が20代半ばオアフ島で暮らしていたころの唯一の友達。

私は初めての1人暮らし&海外暮らしで、誰もお友達がいなくて、
まわりを見ても、留学生の学生や、結婚しているばかりで
なかなか一緒に遊んだりする友達ができずに淋しくしていたころに
知り合った。

彼女と一緒に週末は、出来る限りのオシャレ、ドレスアップして
クラブやバーに良く通った。 朝まで遊んで、前の晩に知り合った
男の子達とまたビーチで会う約束をして、一日中ビーチで遊んだり。

私の場合は、まさに20代半ばが、輝く青春(ちと、古いね。笑)
という感じで、それまで、引っ込み思案で、地味で根暗な私に、
アメリカナイズされた彼女はいつもそんな私に渇を入れてくれて、
”トモコちゃんは、もっと自信を持ちなよ、ちゃんと自分を
見てごらんよ”と、いつもいつも葉っぱをかけてくれた。

本当に彼女のおかげで、自分の殻を破ることが出来た。
身も心もすーっと軽くなって、それからはワイキキの溢れる太陽を
見方につけたかのような楽しいハワイ生活がはじまり、
その頃、リックにも出会った。 リックと出会ったあとも、一つ前のブログに
書いたとおり、彼女のバイタリティがいつも私の背中を、押してくれた。


彼女は、中学・高校と神戸のカナディアンスクールに通い、
UH Hiloで2年、その後、UH Manoaで卒業、大学院を出て、
さらに私立のシャミナード大学でMBAを取得。 その間、彼女は結婚。
その後、広告代理店で働くも、これは私のやりたい仕事ではないと、
32歳の時に、昔から大好きだった小動物のお医者さんになることを決意。
ハワイ大学の医学部に再入学した彼女。

その後、ハワイ大学には獣医学部がないので、基本の医学部の勉強を終えた彼女は、
獣医学部が有名なWashington State Universityに編入して無事に卒業し
晴れて獣医になった。 Dr. Masami Tanaka.



もう、いつくも学位を持って大学院まで出ているのに、また新しいことを
勉強するなんて、本当に凄いよね、と言うと、
その時、彼女は私に、今から医学部に入って、獣医学の専門まで
終えると8年かかるけど、その時、自分は40歳。
40歳で獣医になっても60歳くらいまでは働くよね?
20年だよ!20年も好きな仕事が出来るんだよ! 

だからトモコちゃんも、毎年、永住権の抽選に外れたとか言ってないで、
そんなにハワイに来たいなら、大学に入って、2年のコミュニティ・カレッジでも
卒業したら1年間のインターンビザをもらえるから、それでハワイ島のホテルで
働けばいいよ、そういう未練を持ったまま諦めるのは良くないと。

私はその時、31歳。 彼女の40歳で獣医になれたら、それから20年間も
好きなことができるんだよ!と言った彼女の強く輝く眼差しに、心打たれた。
というより、雷に打たれたような衝撃。

単純な私は、彼女のその志しに焚きつかれたかのように日本に帰ってから
エンジン全開、まずは短期間で留学費用を貯める為に夜も仕事することを決意。
ジャパンタイムスで探した外国人弁護士事務所のタイピストを夜週3回したり、
これまたジャパンタイムスの求人蘭に銀座のバーで時給3000円のバイリンガルのホステスの
求人があり、面接に行った。

面接に行ってみると品のある50代の小柄なママがいて3人の娘さんがいるシングルマザー。
一番上の娘さんがアメリカの大学に留学していて、家のお店は外資系のお客様が多いので
英語の出来る人で、みんな昼間はOLさんか学生さんのアルバイトなので、
安心して働いてねというママの言葉で働くことに。 たまたま私と同じように
留学費用を貯めたいという人が3人いた。 実際、煌びやかな銀座のバーの中では、
相当、地味なバーでした。  

お酒も飲めない、カラオケも嫌い、ましてお喋りも下手なうえ、
何より、人とわーわー盛り上がることが苦手。
私の人生において最も勇気のいった決断。
まさみさんは、これから8年もかけて自分の道を切り開いていく、
私はたったの1年がんばらなくてどうするんだ!と昼間のOLの仕事とホステスのバイト。


それからの1年は、ひたすら働いて、残りの時間は、TOEFLとSATの勉強に費やした。
途方も無い気持で始まった1年だったけど、とりあえず、それまでの貯金と合わせて
なんとか2年分の学費、生活費を貯めることが出来た。


こんなふうに留学直前まで、やっと漕ぎつけるも、あえなく学生ビザ却下。
アメリカ大使館の帰り道、泣いて泣いて泣いた。
その後、ビザ関連の弁護士に相談するも、一度、却下されるとかなり
難しい、やればやるほど、さらに悪い記録(Black List)に名前が残るから
勧めないと言われて諦めた。


というまさに想定外の結果になってしまったけど、自分で出来ることは、
すべてやり尽くしたという思いと、やれば出来るという充実感。 
それからは、さっぱり諦めてずっと東京で仕事をして、
次第に東京生活をエンジョイして過ごしてました。


・・・と話は反れましたが、とにかく、こんなふうに私を突き動かすキッカケをくれたのが
マサミさんでした。 このたったの1年だけど無我夢中で努力した時間は、
努力することの大切さを知り、自分への挑戦の貴重な一年でした。



彼女は、自分の子どもをほしいって思ったことは一度もないんだけど、
子猫ちゃんとか見ていると、もう何でもしてあげたいって思う私って、
変だよね~っていつも言ってた。 

ワシントン州で獣医学を学んでいた4年間も、勉強に専念するためご主人はハワイで、
それぞれ別々の生活をして自分の夢を叶えて、今はご主人と仲良くシアトル近郊で毎日、
沢山の動物と触れ合って獣医さんという仕事を楽しんでいる。



意志あるところに道は開ける
Where there is a will, there is a way.


これを身を持って教えてくれた友達。

私が心から尊敬する運命の友達。
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by kohalacoast | 2012-11-29 06:19 | Comments(4)

1988年、早春

1988年の早春。

26歳のとき、オアフ島の小さな旅行会社で働いていた私は、
日本の旅行代理店でカウンター業務をしている女性社員のハワイ島研修旅行
という30名ほどのグループの添乗を、同年代の女性であることと、
私自身のハワイ島の勉強を兼ねて、上司から、行ってきたらと、
初めてハワイ島を訪れた。 

そこで泊まったホテルが、現在のマリオット・ワイコロア・リゾート。

当時はシェラトン・ロイヤル・ワイコロアンという名前で、リゾートには、
いくつかのコンドミニアムとゴルフコースしかなく、
その昔は、空港からワイコロアまで、すれ違う車も少なく、
こんな何にもないところにホテルがあって、この辺りで働く人は、
いったい何処からやってくるのか、と思うほど何もない所でびっくり。


到着して自由時間、ディナーまで、することもないので30名ほどの女性が
一斉に、ホテルのプールへ。 そのプールでライフガードとして働いていたのが
リックでした。

参加者の女性のひとりが、あの人(リック)と記念写真を撮りたいので、
頼んでもらえますか?とお願いされたので、それをリックに伝えて記念撮影。

1人が撮り始めると他の人も、私も、私もと何枚も写真を撮り、
そうこうしていると、参加者のひとりが、添乗の方も
せっかくだから撮りましょうよーと言ってリックとの2ショットを撮ってくれた。

私は、ホテルの従業員が胸元に付けているネームタグで、
この人はリックという名前なんだー、ちょっとカッコいいかも♪
と思ったけど、このときは、これでおしまい。

添乗も無事に終わって、オアフ島に戻り、当時、唯一の友達のMさん
(現在はシアトルで獣医さんで、昔、ハワイ大学ヒロに2年ほど通っていた)に、
ハワイ島でのこの出来事を話をして、日本に戻った参加者の1人が、
グループで撮った写真と、リックと二人で撮った写真を送ってくれたので、
この人、この人!なんて写真を見せたりしてガールズトークで盛り上がっていた。

それから2ヶ月後、Mさんが、私もしばらくハワイ島に行ってないし、
久しぶりに行きたいな・・・一緒に行こうよという話になって、
私も添乗で行ったけれど、観光には行けず、結局どこも見てなかったので、
じゃ、二人で遊びに行こうか・・・ということで、
二人でハワイ島へ遊びに行った。

Mさんは、当事からかなりアメリカナイズされた積極的な人なので、
ハワイ島に行くからには、そのリックにも会いに行こうよ、行くよね? トモコちゃん?
その写真、渡しに行こうよ!と葉っぱをかけられ、コナのロイヤルシークリフに
滞在していた私達は、わざわざワイコロアまで50キロほど運転して行きました(笑)。

わざわざ行ってみたのは良かったけど、ホテルのプールへ行ってみると
違う人が座っていて、Mさんが、今日はリックは?と聞くと、彼は今日はオフだよと。

Mさん、それでめげずに、彼のラストネームまで聞き出して、
なんでラストネーム聞いてるの?と聞く私に、
せっかくここまで来てるんだから電話してみるのよー
と電話帳で探してみるも見つからず、
ファーストネームは違っても同じラストネームの人に数名、
電話かけたりして、自分のことながら、そこまでするのー?と思いつつ、
Mさん、ひとりで暴走するも、結局、探し当てることができず。。。

当時、私は英語もそんなに上手じゃなく、まだまだ引っ込み思案だったので、
アメリカ生活が長いMさんには、いつもリードされっぱなしで、お世話になって
いたのでした。


今、思うと可笑しいけど、帰りのドライブ中に、私が彼女に、


”縁があれば、きっと、またどこかで会えるよ"


なんて、私のために奔走してくれてガッカリしているMさんに、そんなこと言いながら、
コナのホテルに戻り、シャワーをして晩ご飯を食べにレストランに出かけました。


なにげに入った Kona Inn Restaurant.


レストランは満席で、バーのほうで少し待ちますかと案内されて
バーカウンターを通りかかるとカウンター席に座り、テレビのボクシングの
試合を見ていた4人の男性のひとりが、ふと、振り返った。


あー、あれ?? どうしてここにいるの?


リックだった。


もう、私は、ドキドキしちゃって日本語で、横にいるMさんに、
うわぁ・・・ リックがいるよぉーーー どうしよー どうしよー
というと、Mさんに、トモコちゃん、ちょっとー何か、喋りなさいよー
と、肘でつつかれ(笑)、勇気を振り絞って、前回はどこも観て周れなかったかったから
友達と遊びに来て、そして今日は、実はあなたに会いに、写真を渡そうと思って
ワイコロアのホテルに行ったら、お休みだったことを伝えた。

たぶん、きっと私は顔がまっ赤っかだったと思う(笑)。

案内された離れた席につくと、リックが友達のMさんと私にカクテルを
ご馳走してくれて、それを飲んでいるうちにディナーの席に案内され、
またリック達の後ろを歩いて通ったときに、ご飯終わったら、
一緒に飲もうよと誘われた。 そしてその翌日、ワイピオ渓谷に案内してもらった。

それからディナーの席で、Mさんも私も、ワーワー、キャーキャー興奮絶好調。
Mさんが、トモコちゃん、今日、車の中で言ってたもんね、縁があれば
また会えるって、スゴイよ、スゴイ。 信じられない! ほんとに会えたねって。


ほんとに会えた。



This is our story.
Life is full of surprise.







* リックも当時は、Puakoに住んでいて、コナに飲みに行くのは、
年に1,2回程度と言うことで、この日は、リックが友達と連れ立って、
Kona Inn Restaurantのバーで見ていたボクシングゲームというのは、
東京ドームこけら落としのひとつ、マイク・タイソンの
ゲームでした。 1988年3月21日。(ハワイは3月20日)。
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by kohalacoast | 2012-11-26 08:37 | Comments(14)
2002年11月20日にハワイ島に来ることになった
そのきっかけは2000年の春。

さらにその12年前、1988年私が26歳のときにオアフ島の小さな旅行会社で働いていたときに
リックと知り合い、しばらく離島間の遠距離恋愛を続けて、
私は会社から発給されていたワーキングビザで就労していたため、
会社の解散とともに日本へ帰国。 

当時は、1ドル250円。 国際電話も10分話したら1万円くらいしたし、
もちろんネットやメールなどもなく、携帯電話など当然ない時代。

帰国とともに、お互い違う生活を歩みつつ年に一度のクリスマスカードの交換のみ、
それすら無い数年もあった。

私の中では、リックは、時々、私のことを思い出してくれて、
たぶん人恋しくなると忘れた頃に突然、今、どうしてるの?という手紙を
くれたり、クリスマスカードを送ってくれたりする太平洋の彼方にいる
昔、好きだった人という思い出の中の人でした。

忘れたころに舞い込むリックからの手紙。
そんな手紙でも、心の片隅に私のことを思い出してくれて
手紙を書いてくれることが、嬉しかった。


同様に、私も、時おり、リックのことを思い出していた。
相変わらず毎日、海を眺め、波の様子に一喜一憂しながら
シンプルな生活をしているのかな、
もう誰かと結婚したのかな・・・なんて
思い浮かべたり。


何年も連絡がないまま、時は2000年ミレニアムという世紀が変わる大イベントで
世界中が沸いていたその年の4月ごろ、突如、リックから手紙が舞込んだ。


そのときのリックが住んでいた住所も、もう私は知らなかったので、
手紙に書いてあって住所に私の近況と電話番号を記した手紙を送った。


世間がゴールデン・ウィークの初日、私は連休ではなくカレンダー通りに仕事へ行き、
帰宅すると懐かしいリックの声の留守電が。
そこに残された番号に電話して、何年ぶりだか思い出せない時間を隔てて
ぎこちない会話を交わした。


もう最近は、ハワイに来ないの?とリック。
うん、もう何年も行ってないわ・・・・と私。


そう返事しながら、世間話を少しした後、
もし明日、仕事に行って上司から休暇をもらえて、
明日のフライトが取れたら、会いに行くね・・・行ってもいい?なんて
突然言い出している自分がいた。 


リックも、え?明日??って驚いたような、でも明るいトーンの声で、
僕のほうは、ぜんぜん大丈夫だけど・・・と。


ちょうどカレンダーが、翌日、仕事に行くと土日を含めて4日連続お休みと
なるゴールデンウィーク中日。 けれど4日だけじゃ、やはり無理なので、
あともう一日お休みを貰わないと難しい。


当時私は、日本企業に買収されたばかりの英系通信事業会社の
会長、社長、監査役の秘書をしていたので、突然の休みは難しいかな、
まして翌月6月には、もともと予定を立てていたロンドンへの2週間の休暇も
控えていたので、タイミング的にも無理かなと思いつつ、社長に尋ねてみると、
あっさりOKをもらえた。 


けれど果たして、ゴールデンウィーク前半のハワイ便なんて取れるのかなと
ユナイテッドに電話してみると、ビジネスクラスが1席だけ空いていますと。
その席をブッキング出来たときは、体に電気が流れたような高揚を感じた。


仕事を定時で引き上げ、即行で家に帰り、母親に、これからハワイに、
リックに会いに行くから・・と言い残し、身支度を済ませ、
リックには今晩の便で経つから明日の朝、コナの空港でね・・・
と電話を1本入れて、成田に向った。


あの晩の成田空港の誘導燈と夜景、
心の中のざわめき。
今でも忘れられない。


それが2000年、38歳の春。
それから半年に一度の間隔でリックに会いに行くという時期が2年続いたころ、
このままでいいの?私?と自問自答している時期にさしかかり、
同じタイミングで、会社が早期退職制度を施行し退職者を募った。


私はこの2年の間に、長年の希望だった事務系から専門職の国際電話回線の
コスト・アナリストへキャリアパスを経て仕事も順調だったので、
随分と悩みに悩んだけれど、仕事のキャリヤより女性としての自分の人生を賭けてみたいと思った。
それこそ40歳間際で、正社員の仕事を捨てて、賭けに外れたら、
もう仕事も見つからないかもしれない・・・でも、その時は、その時。
自分の人生、後悔したくないと迷いはなかった。


リックとは、いつも離れ離れで、ハワイにいた時でさえ、オアフ島とハワイ島だったし、
とにかく普通のカップルのように、同じ時をある一定の時間、一緒に過ごしたことがなかったから、
一度、流れる時を、生活を共に過ごしてみたかった。 


その時を過ごして上手くいかないのならそれで諦めもつく。 
自分の中で、諦めをつけるための決意。


そして会社を辞めて、外国人がアメリカに滞在できる90日間をリックと過ごして、
旅の終わりに二人で、LAとメキシコへ旅行して私は7月の中頃、日本に戻った。
何の進展もなく・・・(苦笑)。


日本に戻ったあと、リックからマメに電話がかかってくるようになり、
今度はいつ3ヶ月来るの?と。  


アメリカの移民局は結構、一人旅の独身女性の頻繁な渡航には、とてもチェックが厳しく、

以前、就労ビザで何度も渡航して、その後、普通の観光で入国した時に、
一度、空港の別室に連れて行かれた怖い経験と、その後の30代初めに留学を決心して、
昼も夜も仕事をして貯金をし、合い間に勉強をしてTOEFL, SATの試験をパスして、
無事にハワイ大学入学許可をもらい、会社に辞表まで出したのに、
最後の最後に、まさかのアメリカ大使館で、学生ビザを発給して
もらえず諦めたという、そんな信じられない悪条件のレコードが残っている私は、
毎回、入国拒否されて強制送還されたら、どうしよう・・・と移民局を通過するのが
死ぬほど怖かった。という経緯があり、

そんなにすぐには行けないし、私もこんな3ヶ月単位の旅行をそうそう続けていられないし、
もう、これが私の人生最後のハワイ島旅行(90日滞在)になるんだろうなと
決意して到着したのが2002年11月20日。


リックは愛しているとか、将来どうするとか、結婚の話をしたことがなく、
自分は結婚しないと思うとずっと言っていたし、
私も決してそういうことは聞かない、聞けないタイプの人でして・・・
でも今回だけは90日滞在が終わるころには、私は自分から、
将来どうしたいのかを聞いて、私はどうしたいか、自分の気持だけは
伝えるつもりで、それで終わりにしようと思っていた。

すでに彼は47歳、今までも自由気ままに生きてきたし、
自分は結婚には向かないとも、はっきり言っていた。

けれど、やっぱり年齢的に、このままずっと1人というのも、
ついに淋しくなってきたのかな、クリスマスの日の朝に、指輪片手に
膝まづいて、突然のプロポーズ。


母親には、今回の旅が最後になると思うと伝えてあったので、
電話で伝えると、涙声で良かったねと喜んでくれた。


今まで、リックの友達には、私は友達としか紹介されなかったのが、
その日から私はフィアンセになり、旅行カバンひとつでやってきた私は、
実家の部屋や自分名義の電話やネット契約などもそのままで、
翌年の私の41歳の誕生日にラナイ島で家族に祝福されて
ひっそり結婚式を挙げました。


2002年11月20日。
これが最後のハワイ島だと思って降り立った日が、
私のハワイ島での人生が始まった日となったStory。




・・・・つづく。


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by kohalacoast | 2012-11-22 19:01 | Comments(8)

10 years ago, today....

ハワイ島に根をおろして今日で10年が経ちました。

販売の仕事をしていると、日本のお客様から、ハワイ島にどれくらい住んでいるんですか?
・・・と時々、聞かれて、先日も、もう10年になりますね・・・なんていう会話をした。

11月に来たのは覚えてたけど、
思わず昔のパスポートを開いてみた。

2002年11月20日。


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あれから10年かぁ・・・ 

ハワイ島に降り立った10年前の今日は、まさか10年後の今日も、
ここにいるなんて思いも由らなかったなぁ。 

な~んて、しみじみと思う。


リックと結婚して
アマンダを授かって
この10年をこのハワイ島の大地で過ごさせてもらった。


ここに辿りつくまで遠回りしたけど、
なんとか辿りついた。


このハワイ島の大地で

これからも

日々、小さな幸せに感謝して

毎日を大切に過ごしていきたい。



10年前のこの日の私の気持は・・・

つづく・・・
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by kohalacoast | 2012-11-21 17:23 | Comments(0)

My Mother in Law

今日11月11日はリックのお母さん、
私のお義母さんのお誕生日でした。

お義母さん、お誕生日おめでとうございます。
ますます元気で、楽しい毎日を過ごしてくださいね♪

お義母さんは今年で88歳。

今もオアフ島で1人元気に暮らし、お友達と集いカードゲームしたり、
図書館のボランティアをしたり、アクアビクスに通ったり、
そしてホノルルのハイウェイだって運転して、ひとりでどこでも行っちゃう。

この2年ほどは海外旅行は行ってませんが、
一昨年までは、ロシア、中国、ギリシャのクルーズトリップへ出かけたり、
今でも、フロリダに住むお姉さんや親戚がいるNY,
そして、長男の住むサンタバーバラ、次男の住むシアトルなど
年に2度はアメリカ本土に旅している元気なお義母さん。

リックと婚約したときは、これからあなたが義娘になってファミリーの一員に
なるなんて、本当にステキなことね・・・と言ってぎゅーっとハグしてくれたことを
今でも良く覚えている。

煩いことや余計なことは一切言わないし、口出しもしない。
今まで嫌な思いもしたことはたったの一度もない。
他の人を悪く言ってるのも聞いたことないし。
いつも明るく笑顔で、楽しく、人生を楽しんでいる。

会えばいつも、ぎゅーっと愛情のこもった温かいハグをしてくれるお義母さん。

私が作る料理、贈ったプレゼント、何に対しても、
いつも褒めてくれたり、温かい言葉で感謝をしてくれる。 
それが言葉であったり、Thank you cardであったり。

私がお義母さんの話す英語が分ろうが、分らなかろうが(苦笑)、
1人でベラベラと喋り続けてくれるので、結構、私は気がラクだったり。

3人の息子に大切にされて、きっと亡くなったお義父さんにも
とっても愛されていたんだろうな・・・っていうのがすごく良く分る
愛されキャラのお義母さん。

すべてのことにポジティブで、裏表のないすごくサッパリした温和な女性。
リックはそんなところはお母さんから受け継いだのかなぁと思ったり。

私はそんなお義母さんが大好きです。

いつもありがとうございます。 そして、
これからも、ますます元気で長生きしてくださいね♪

そのお義母さん、明後日からまた5日ほど、
お友達とハワイ島に遊びに来るので楽しみです♪


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     2012年8月 Puakoにて。
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by kohalacoast | 2012-11-12 17:17 | Comments(4)

わが家の朝

わが家は、まずリックが一番早く起きて、
煎れたてのコナ・コーヒー飲んだり新聞読んだり
ひとり静かなに朝の時間を楽しんでいる様子。

次はアマンダ。


一番、寝坊スケは私でございます(笑)。


いつもリックとアマンダの話し声で目が覚める。

 
ここ数ヶ月、毎朝、リックがアマンダの朝食(トースト、コーンフレークや時々、
パンケーキにミルクと フルーツも毎朝、欠かさずに)を用意してくれて、
食べ終わると、アマンダが私のベットに”ママぁ~”と潜りこんできて、
ベットの中で、しばし、ホカホカ、ぬくぬくタイム。 

私が、ベットから抜け出す頃には、アマンダは歯磨き、着替えなど準備OK。
最後に私が髪を結わいたり、最後の仕上げ。


玄関先で、いってらっしゃいのハグ&キスして、リックが学校へ送りにいく。
平日は午後出勤で夜が仕事のリックなので、これが父と娘の唯一の時間。 


まぁ、子供がひとりってこともあって、このように朝は、ラクさせてもらってます。
朝は何もしないグーたらママです、私。
 

いつもありがとう~ リック。



アマンダ1歳。
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by kohalacoast | 2012-11-12 04:52 | Comments(0)

Holiday Stamp 2012

先日、郵便局に行った際に早速、購入。

今年のForeverホリデースタンプ♪

4枚貼って、絵が完成するらしいのですが、

アメリカ国内だったら1枚でOKなので、

絵は完成しませんよね・・・・(苦笑)。



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こちらは、この数年、切手代が頻繁に値上がりするので、

数年前から登場した "Forever Stamp"。

スタンプに何セントとか金額の表示がないので、

買うときは、その時の値段で買うのですが、

値上がりしても、アメリカ国内の手紙だったら、

そのまま使うことが出来るので、以前みたいに値上がり後、

足りない分の数セントの切手をわざわざ買って貼る必要がないので、

これはちょっと便利ですよね♪

永遠に使えるってことで "Forever Stamp" というネーミング。
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by kohalacoast | 2012-11-10 06:12 | Comments(10)

four more years

アメリカ大統領再選確実となったオバマ氏の3行ツイート。


for more years
さらに4年だ。


私はアメリカ市民ではないので選挙権がありませんが、

それでも今日は、朝からドキドキ、途中経過のニュースにハラハラ。

もちろんハワイ生まれのリックは当然のことながら、オバマ派。

4年前は "change"

そして "four more years"

次の4年も応援しています。





追記 *****


今回もすばらしいですね、オバマ氏の演説


そして余談ですが、私はミシェル婦人のお洋服のセンス、大好きです。
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by kohalacoast | 2012-11-10 06:09 | Comments(6)

ハワイ島のスローライフと12歳の娘アマンダの子育て日記


by kohalacoast
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