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運命の友達。

リックと出会って私の人生が変わったように、
彼女に出会わなければ、また違った人生になったのかも・・・と思える友達。
マサミさん。


私が20代半ばオアフ島で暮らしていたころの唯一の友達。

私は初めての1人暮らし&海外暮らしで、誰もお友達がいなくて、
まわりを見ても、留学生の学生や、結婚しているばかりで
なかなか一緒に遊んだりする友達ができずに淋しくしていたころに
知り合った。

彼女と一緒に週末は、出来る限りのオシャレ、ドレスアップして
クラブやバーに良く通った。 朝まで遊んで、前の晩に知り合った
男の子達とまたビーチで会う約束をして、一日中ビーチで遊んだり。

私の場合は、まさに20代半ばが、輝く青春(ちと、古いね。笑)
という感じで、それまで、引っ込み思案で、地味で根暗な私に、
アメリカナイズされた彼女はいつもそんな私に渇を入れてくれて、
”トモコちゃんは、もっと自信を持ちなよ、ちゃんと自分を
見てごらんよ”と、いつもいつも葉っぱをかけてくれた。

本当に彼女のおかげで、自分の殻を破ることが出来た。
身も心もすーっと軽くなって、それからはワイキキの溢れる太陽を
見方につけたかのような楽しいハワイ生活がはじまり、
その頃、リックにも出会った。 リックと出会ったあとも、一つ前のブログに
書いたとおり、彼女のバイタリティがいつも私の背中を、押してくれた。


彼女は、中学・高校と神戸のカナディアンスクールに通い、
UH Hiloで2年、その後、UH Manoaで卒業、大学院を出て、
さらに私立のシャミナード大学でMBAを取得。 その間、彼女は結婚。
その後、広告代理店で働くも、これは私のやりたい仕事ではないと、
32歳の時に、昔から大好きだった小動物のお医者さんになることを決意。
ハワイ大学の医学部に再入学した彼女。

その後、ハワイ大学には獣医学部がないので、基本の医学部の勉強を終えた彼女は、
獣医学部が有名なWashington State Universityに編入して無事に卒業し
晴れて獣医になった。 Dr. Masami Tanaka.



もう、いつくも学位を持って大学院まで出ているのに、また新しいことを
勉強するなんて、本当に凄いよね、と言うと、
その時、彼女は私に、今から医学部に入って、獣医学の専門まで
終えると8年かかるけど、その時、自分は40歳。
40歳で獣医になっても60歳くらいまでは働くよね?
20年だよ!20年も好きな仕事が出来るんだよ! 

だからトモコちゃんも、毎年、永住権の抽選に外れたとか言ってないで、
そんなにハワイに来たいなら、大学に入って、2年のコミュニティ・カレッジでも
卒業したら1年間のインターンビザをもらえるから、それでハワイ島のホテルで
働けばいいよ、そういう未練を持ったまま諦めるのは良くないと。

私はその時、31歳。 彼女の40歳で獣医になれたら、それから20年間も
好きなことができるんだよ!と言った彼女の強く輝く眼差しに、心打たれた。
というより、雷に打たれたような衝撃。

単純な私は、彼女のその志しに焚きつかれたかのように日本に帰ってから
エンジン全開、まずは短期間で留学費用を貯める為に夜も仕事することを決意。
ジャパンタイムスで探した外国人弁護士事務所のタイピストを夜週3回したり、
これまたジャパンタイムスの求人蘭に銀座のバーで時給3000円のバイリンガルのホステスの
求人があり、面接に行った。

面接に行ってみると品のある50代の小柄なママがいて3人の娘さんがいるシングルマザー。
一番上の娘さんがアメリカの大学に留学していて、家のお店は外資系のお客様が多いので
英語の出来る人で、みんな昼間はOLさんか学生さんのアルバイトなので、
安心して働いてねというママの言葉で働くことに。 たまたま私と同じように
留学費用を貯めたいという人が3人いた。 実際、煌びやかな銀座のバーの中では、
相当、地味なバーでした。  

お酒も飲めない、カラオケも嫌い、ましてお喋りも下手なうえ、
何より、人とわーわー盛り上がることが苦手。
私の人生において最も勇気のいった決断。
まさみさんは、これから8年もかけて自分の道を切り開いていく、
私はたったの1年がんばらなくてどうするんだ!と昼間のOLの仕事とホステスのバイト。


それからの1年は、ひたすら働いて、残りの時間は、TOEFLとSATの勉強に費やした。
途方も無い気持で始まった1年だったけど、とりあえず、それまでの貯金と合わせて
なんとか2年分の学費、生活費を貯めることが出来た。


こんなふうに留学直前まで、やっと漕ぎつけるも、あえなく学生ビザ却下。
アメリカ大使館の帰り道、泣いて泣いて泣いた。
その後、ビザ関連の弁護士に相談するも、一度、却下されるとかなり
難しい、やればやるほど、さらに悪い記録(Black List)に名前が残るから
勧めないと言われて諦めた。


というまさに想定外の結果になってしまったけど、自分で出来ることは、
すべてやり尽くしたという思いと、やれば出来るという充実感。 
それからは、さっぱり諦めてずっと東京で仕事をして、
次第に東京生活をエンジョイして過ごしてました。


・・・と話は反れましたが、とにかく、こんなふうに私を突き動かすキッカケをくれたのが
マサミさんでした。 このたったの1年だけど無我夢中で努力した時間は、
努力することの大切さを知り、自分への挑戦の貴重な一年でした。



彼女は、自分の子どもをほしいって思ったことは一度もないんだけど、
子猫ちゃんとか見ていると、もう何でもしてあげたいって思う私って、
変だよね~っていつも言ってた。 

ワシントン州で獣医学を学んでいた4年間も、勉強に専念するためご主人はハワイで、
それぞれ別々の生活をして自分の夢を叶えて、今はご主人と仲良くシアトル近郊で毎日、
沢山の動物と触れ合って獣医さんという仕事を楽しんでいる。



意志あるところに道は開ける
Where there is a will, there is a way.


これを身を持って教えてくれた友達。

私が心から尊敬する運命の友達。
by kohalacoast | 2012-11-29 06:19

ハワイ島のスローライフ日記


by kohalacoast
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